毎回どれも同じになるように撮ろうと思う。
同じ構図、同じ照明、同じ角度、同じ距離…
しかし、いざ撮る/撮られるの関係になってみると、やはり一筋縄ではいかない。

撮られる側の人は一方的に観察されてしまうため、
撮る人よりも鋭く、この部屋の空気や心の振動を察知して反応する。
事前の打ち合わせや指示はなく、この行為は互いの反応のみに委ねられる。
いま見ているのは自分自身の姿だろうか。
このとき私が自分を消したいと思うのと同時に、
相手もまた自己の在り方を探しているのかもしれない。